なくなっていたのは、広島市中区の本川小学校の平和資料館で展示されていた、こぶしほどの大きさの緑色のガラスの塊です。

本川小学校では、原爆で児童と教職員400人余りが犠牲となり、被爆した校舎の一部が平和資料館として公開され、およそ30点の被爆資料が展示されています。

広島市教育委員会によりますと、去年11月中旬、展示されていたガラスの塊がなくなっていることに資料館のスタッフが気付いたということです。

ガラスは、2004年に当時の児童が校庭の地中から見つけ、原爆投下後に熱で溶けたものだとみられるということです。

同じように児童が地中から見つけたほかの2つの塊と並べ、資料館を訪れた人が自由に触れる状態で地下1階に展示されていました。