これは、正岡子規の資料を調査している神奈川大学の復本一郎 名誉教授が20日、都内で記者会見を開いて発表しました。

新たに見つかったのは、子規の詠んだ「はひおりて・病牀の側の・御慶哉」(はいおりて・びょうしょうのそばの・ぎょけいかな)という俳句です。

「歳旦帳」と呼ばれる正月の来客向けの芳名録のようなものに記されたもので、子規が亡くなる3年前の明治32年の正月、弟子が訪れて俳句を記した中で、子規自身も俳句を詠んだとみられるということです。