森下さんは、14歳の時に爆心地から1.5キロで被爆して大やけどを負い、自宅にいた母親を亡くしました。

13日NHKの取材に応じた森下さんは、これまでの活動について「自分たちは非常に厳しい体験をしたが、長女が生まれて寝顔を見ていたとき、あの日、ガード下で黒焦げになって死んでいた幼い子どもがオーバーラップした。こういうことは絶対に起こしてはいけないと感じて、何かしなければというのが活動を始めたきっかけだった」と振り返りました。

森下さんは、米ソ冷戦時代の1964年に広島と長崎の被爆者たちが海外を訪れて証言を行った際、原爆投下を決断したアメリカのトルーマン元大統領とも面会しました。

核兵器をめぐる国際情勢が厳しさを増していることについて、森下さんは「一触即発の状況を、何とかして止めないといけない。唯一の戦争被爆国である日本の政府は、アメリカの『核の傘』によるのではなく、核兵器をなくすために世界をリードしていくべきで、まずは核兵器禁止条約を批准するべきだ。今回、ノーベル平和賞の受賞が決まったことは、日本政府への警告であり、先頭に立ってほしいというメッセージだと思う」と述べました。

そのうえで「年をとったと感じるが、老骨にむちを打ってもう一歩頑張りたい。若い人たちには、頑張って運動を続けてほしいし、被爆者の体験を自分から求めて聞き、自分たちのものにしてほしい」と訴えていました。