1999年9月30日、東海村にある核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」で原料のウランを処理していた際に核分裂反応が連続する「臨界」が発生し、作業員2人が大量の放射線を浴びて亡くなったほか、周辺の住民など600人以上が被ばくしました。

また国内の原子力事故で初めて周辺の住民を避難させるなど、国の原子力防災体制が見直されるきっかけになりました。